文・クラリスブックス 高松

2018年の夏頃から渋谷のシネマヴェーラに通い詰めている。特に、昨年の年末から年明けにかけての特集上映、『蓮實重彦セレクション ハリウッド映画史講義』を境に、週に1回は行っているくらいだ。私の店は平日は20時までの営業なので、さっと切り上げれば、下北沢から井の頭線に乗って20時30分からの上映でもなんとか間に合う。シネマヴェーラはミニシアターにしてはそれなりに広く、座席数は142席。私はたいてい前の方に座るので、ぎりぎり駆け込んでも好きな席に座ることができる。

シネマヴェーラで上映されるのは昔の映画ばかりだが、日本映画、外国映画問わず、昔の名作・怪作を映画館で見てしまうと、新しい映画がどうも物足りなくなってしまう。予告なく始まり、ぱっと終了するその潔さがクセになってしまった。

さて、今年の3月から4月にかけて、『ソヴィエト映画の世界』という特集上映があった。なかなか映画館では見ることができない作品の数々、また、私などまったく知らない作品などが多数上映され、少しでもたくさん見に行きたかったが、私はなんとか3回見に行くことができた。

4月。土曜日の最後の回に『怒りのキューバ』が上映された。カメラワークといい、モノクロの美しい映像といい、革命記念の国策映画とはいえ、多くの映画人を魅了した傑作を映画館で見ることができるとあって、また、土曜日ということもあり、館内は開演待ちの人で比較的混んでいた。シネマヴェーラは番号順の入れ替え制なので、時間になると係の人の「1番から5番までの方どうぞ」などというアナウンスとともに、ぞろぞろと入ることができる。


開演まで少し時間があった。私はぼんやりチラシが並んでいる壁の端に立っていたが、ふと、男性に声をかけられた。見たところ、それなりの年齢、おそらく70代と思われるその男性はぎりぎりに映画館に着いたらしく、そのままチケットを手に持っていた。

「すみません、失礼ですが、この番号は何番でしょうか」
受付で購入したチケットを差し出し、そう切り出した。番号が読めないのだった。
「86番ですね」
私はそう答えた。8と6は0に見えてしまう。少し暗がりのロビーではなおさら見にくいのかもしれない。そして、番号順に入ることができるシステムなどを簡単に説明した。
「いやあどうも、眼が悪くなって。昔は並んで入る感じでしたね、たしか。2本立てで」
「ええ、そうですね。1年位前からでしょうか、番号順になりましたね」
「そうですか。昔はよく来ていたんですが、最近はなかなか。もう80過ぎなので」
80過ぎという言葉に私は驚いた。とても丁寧で上品な雰囲気にそこまでの年齢とは思えなかった。さすがにお若いですねとは言うことはできなかった。彼はそのまま続けた。
「いやあ、なんとか。千葉から来たんですよ」
「え、千葉からですか。大変でしたね」
私は思わずこんなことを口走ってしまった。千葉からわざわざ来られたということも驚きだったが、土曜日の夜の渋谷の街を歩いて来られたということ、そして見終わって、若者でごった返す夜の喧騒な渋谷の街に出て駅まで歩かねばならないということに、なぜか、ふと『東京物語』の笠智衆を思い出した。

ほどなく係の方の案内の声が聞こえた。「それでは」という簡単な挨拶で私はその男性と別れた。
映画を見終わってロビーに出るとその男性のことを思い出した。場内から出てくる人の中にいないか、私は目で探している自分に気がついたが、結局見つからなかった。『怒りのキューバ』は日本では1968年に公開されている。もしかしたら、その男性は劇場公開時に鑑賞されていたのかもしれない。そうだとすると、どのような映画人生を送ってこられたのだろうか。もう少しいろいろと映画についてお話できればよかったと、少し後悔している。