文・クラリスブックス 高松

『幸福なラザロ』 2018年イタリア映画 監督・アリーチェ・ロルヴァケル

現代的なテーマを存分に含んでいるにもかかわらず、ただ単にリアリティを求めることなく、むしろファンタジー的要素を取り入れて我々見る者を引きつける、これこそまさに映画、最高傑作であった。

ふと、私はクストリッツァの『ジプシーのとき』を思い出したが、こちらはあくまでも現代性を追求し、その行き着く所にカーニバル的狂乱があるとしても、実社会に潜む差別や貧困を鋭く映し出しはしているが、『幸福なラザロ』は、さらにその一歩先、我々人間が認知しえない、神聖なるものを巧みに描き出している。

当たり前だが、映画は文学と違い、目に見えるものである。小説の中で「美しい女性」という描写があったら、読み手一人一人の「美しい女性」が頭の中に映し出されるが、映画はそうはいかない。しかし優れた映画は、『ヴェニスに死す』のラストシーン、夕陽に照らし出される美少年タッジオのように、人間が見ることができない神聖なもの、美そのもの、を万人共通の理解として我々観客の前に表現してくれる。
主人公ラザロを取り巻く人々、搾取する者とされる者、教会のシスターたち、銀行で受付を待つ人々などなど、この映画に登場するすべての人物は我々観客の生き写しである。ただ、ラザロとその化身であるかのようなオオカミを除いて。

『幸福なラザロ』は2018年のカンヌ映画祭のグランプリは惜しくも逃してしまった。日本の作品が受賞したのは喜ばしいことではあるが、『パルプ・フィクション』で31歳のタランティーノがパルム・ドールを受賞したように、若い監督に取ってもらいたかった、と思ってしまった。

 

この外国版のポスターはとてもよく、ジョージアのピロスマニを想起させる。