文・クラリスブックス 高松

アルフォンソ・キュアロン監督の映画『ROMA ローマ』があまりにも美しく、そして力強かった。私はあまり新作映画を見ないのでなんとも言えないけれど、新作でここまで完成度の高い作品は久々ではないだろうか。つまり、数年に一本の映画だと思う。誰に対しても手放しでお勧めできる傑作であった。

ゆるやかに流れる白黒の落ち着いた映像。ただただ、淡々と物語は進むが、そのありふれた日常のなかに、本当の強さ、そして美しさをかいま見る。

強さとはなんだろうか。筋肉隆々のプロレスラーや鋼鉄のような腹筋のボクサー、確かに喧嘩になったら謝る他ない。
あるいは、戦車や核弾頭を何百何千と保有している国々は、全く武器を持たない小国をいとも簡単にひねり潰すことができるだろう。これも強さといえば強さだ。20世紀初頭に、戦争を起こして人が死ねば死ぬ程金儲けが出来るという悪魔の論理を得てしまった人類は、結果的にそのことで国が潤うので、軍事力の強大さが国の善し悪しを決めると考えてしまっているのかもしれない。
主人公クレオの彼氏フェルミンは拳法にハマっていて、彼女の前で素っ裸になってその強さをこれ見よがしに披露する。確かに、なかなかできる芸当ではない。しかし、フルチンで棒をブンブン振り回すその姿はどこか滑稽で、何となく哀れですらある。

ところで軍服に付いている階級章は男根の象徴で、この量が増えれば増える程階級の高い軍人というわけだが、チャップリンが『独裁者』で副官の階級章をつぎつぎ根こそぎ、最後は可愛いボーダーシャツまで現れてしまうシーンは、実はこの映画の外堀を埋めてくれているような気がする。

肉体的な強さや、軍事的な強さが優劣を決めるのではない。本当の強さとはなんだろう、少なくともそれは、とても美しいものであった。本当の強さは、美しさに繋がる。この映画はそのことを我々観客に気づかせてくれる。

美しい構図や長回しカメラの素晴らしいショットの数々、画面が作る起承転結の妙、隠喩的な出来事の撒かれ具合など、どれをとっても、映画としてほとんど完璧なまでの作り。つくづく、映画館の大画面で見ることができてよかったと思う。