前回のブログで、雑誌「ぴあ」について延々と思い出話を書いた時、昔は映画館がたくさんあったな〜とつくづく思ったが、しかしふと、ほんとに映画館は減ったのだろうかと、思いとどまった。
もちろん映画館は減っている。激減である。ただ、スクリーンはたくさんある。
シネコンの存在である。

新宿を例に挙げて考えてみたい。

現在新宿にはシネコンが3館ある。TOHOシネマズ、新宿ピカデリー、バルト9の3館である。
新宿のTOHOシネマズには12スクリーン、新宿ピカデリーには10スクリーンもある。確かに映画館自体は減ったが、スクリーン数で考えれば、それほど減っていないのでは、と思える。

1984年の「ぴあ」を片手に、少し調べてみた。

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・1984年 新宿にある映画館の数 40館、スクリーン数 40スクリーン
・2017年 新宿にある映画館の数 9館、スクリーン数 42スクリーン


このように、映画館の数は圧倒的に昔の方が多かった。今から33年前の話である。
昔の映画館は、同じ建物にあっても、それぞれ別の映画館だったので、1つの映画館で1つのスクリーンだった。
一方、2017年現在、新宿には映画館が9館あり、そのうち3館がシネコンである。TOHOシネマズ、新宿ピカデリー、バルト9の3館である。この3館だけで31スクリーンもある。


・TOHOシネマズ 12スクリーン
・新宿ピカデリー 10スクリーン
・バルト9 9スクリーン


映画館の数は減った。40館から9館に、大幅に減った。しかし、スクリーンの数は40から42と、むしろ増えている。だから、「街から映画館がなくなった」という感覚は、映画館という建物自体がなくなっているので、場所とともに記憶される、「映画館で映画を見る」という行為に思いを馳せると正しい感覚だが、「映画を上映する場所」=スクリーンと考えれば、少し偏った感覚なのかもしれない。

しかし、話はそう単純ではない。

先ほどのシネコン3館だが、例えばハリウッドの超大作が封切られると、ほとんどのスクリーンを独占する。

もちろん、それは昔でもあった事で、1984年当時、ジャッキー・チェンの『プロジェクトA』は、新宿アカデミーと新宿スカラ座で上映している。『トワイライトゾーン』も、新宿ミラノ座と新宿東映パラスで上映している。しかし、たかだか2館、映画や時期にもよるだろうが、多くても3〜4館ではないだろうか?

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▲『ザ・デイ・アフター』の次回上映が『少林寺2』という、また、『さよならジュピター』も控えている。

現在、3D、4DX、IMAXなど、さまざまな上映方式があり、それらも1つの映画であると考えると、1本の映画にスクリーンがものすごく独占される。これは、資本主義市場経済の成せる業として受け入れざるを得ないが、我々消費者側の選択が狭まっていることは確かな事で、結果的に、「映画を見る」のではなく、「映画を見させられている」という状況になりはしないか、と危惧する。これは少し悲観的な見方かもしれないが、映画を見るという行為が、単なる暇つぶしにならないよう、しっかり自身の頭で見る映画を選んで、自発的に映画館に足を運びたいものである。

幸い都内には、いわゆるミニシアターといわれる映画館がたくさんある。アジアやヨーロッパ映画、昔の日本映画を上映してくれる映画館もある。新宿という、昔も今も華やいでいる大都会を例にしてしまったが、東京都23区全域で考えれば、もう少し違う様子が浮かび上がってくるかもしれない。また、年代も戦後間もなくから10年単位で調べた方がいいと思う。統計学や社会学に疎い私にはできないことだが、そうすることで、戦後の日本のもう一つの姿が見えてくるかもしれない。

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▲黒丸が映画館のある場所。実にいろいろなところに映画館が存在していたのが分かる。

一見、映画館は少なくなっているように見えるが、都内では、「映画を上映する場所」=スクリーンと考えると、意外と多い。がしかし、細かくプログラムをみていけば、それらは単一化され、自由な映画文化が損なわれているように思える。
大量生産・大量消費の波は映画館にも押し寄せており、これからますますその傾向は強まると思われる。
食品にしろ衣服にしろ、安価で手に入りやすいものが世界を席巻し、それらを消費している我々の没個性化が著しい。グローバリズムの申し子とでも言うべきシネコンは、よくも悪くも、現代日本を象徴している。

 

文・クラリスブックス 高松