読書と哲学 カント倫理思想を考える 『人倫の形而上学の基礎付け』ご報告

こんにちは、クラリスブックス店主の高松です。

11月22日、当店にてカントの倫理思想を考える勉強会を行ないました。
これは、当店で月に一度行なっている読書会の拡大バージョンで、また、今年2月に開催しました、「読書と哲学 カント『純粋理性批判』入門の入門」の第2回目という形になります。ご参加いただきました皆様、誠にありがとうございました。

読書と哲学 カント倫理思想を考える

前回に引き続き、ゲストに東京大学大学院総合文化研究科の網谷壮介さんにお越しいただきました。2月22日に行なった会に関しましては、こちらにまとめてあります。どうぞご覧ください。
http://blog.clarisbooks.com/2015/02/28/3905

その時のまとめブログにも書いておりますが、そもそもこの催しは、私が哲学科出身にも関わらず、カントという偉大な哲学者の思想をほとんど理解できていなかったので、ぜひもう一度しっかり勉強してみたい、というかなり個人的な欲求から生まれたものでした。網谷さんとの本当に幸運な出会いが、2月に行われた最初のカント勉強会、「『純粋理性批判』入門の入門」に結実し、そしてそれが今回の「カントの倫理思想を考える 『人倫の形而上学の基礎付け』を課題図書として」に発展したのでした。
こちらのブログで詳しい内容にまで踏み込むのは私の理性の限界を超えますが、どのようなことが話されたのか、今回ご参加できなかった皆様がこのブログを読んで少しでも理解できるよう、できる限りご説明しようと思います。

さて、今回はカントの倫理思想を取り上げましたが、それはカント哲学の流れから考えても、いわば自然の成り行きでした。カントは1781年に主著である『純粋理性批判』の第1版を世に送り出し、そこで理性について徹底的に批判し(批判・クリティークという言葉は、“分ける・区別する”といったような意味)、次に考えなければならないのは倫理の問題だと考えました。それで、三批判書の二つ目である『実践理性批判』を1788年に書き上げましたが、この本は『純粋理性批判』と同様、専門的に勉強していない人間にとって、読み進めるのはかなり困難なものです。

今回取り上げました『人倫の形而上学の基礎付け』は、『純粋理性批判』第1版出版から4年後の1785年に出版されました。『実践理性批判』の前段階の、分量も比較的短い著作ではありますが、もちろんそれでも読みこなすにはさまざまな専門用語を理解しないといけません。それでも『実践理性批判』よりは理解しやすい、少なくともカントの倫理思想の大枠を捉えるにはちょうど良い著作、と考えられるのでは、と思います。
網谷さんがこの著作を今回の勉強会で選んでいただいたのも、そういった理由からだと思います。

『人倫の形而上学の基礎付け』のタイトルにある“基礎付け”という言葉は、土台を据えるというような意味で、倫理を考えるための土台をしっかり造りましょう、ということです。倫理思想という、とても巨大な建物を建てる為には、その土台が重要です。しっかり地中奥深くまで杭を打ち込まなければなりません。この著作はそういう意味でとても重要であり、この土台がないと『実践理性批判』に進むことはできず、それ故、カントの倫理思想を考えるための大前提となっている著作なのだと思いました。
ですから、それほど分厚くない文庫一冊のこの本の中身は、非常に多くの重要な概念がぎっしりと詰まっています。「善意志」「定言命法」「格率」など、一読しただけでは理解不能な単語ばかりです。しかしそれらをしっかり理解することができれば、カントの倫理思想の土台を完成させることになり、哲学者カントがどのような倫理思想を生み出していったのかを理解することができるのです。

読書と哲学 カント倫理思想を考える

今回は二回目ということで、まず網谷さんに、前回の復習を簡単に行ってもらいました。『純粋理性批判』という大著を簡単に解説するなど不可能なことなのですが、網谷さんのわかりやすい解説で、参加者の皆様も大筋は理解できたのでは、少なくとも、倫理思想を研究する方向にカントが向かったということは、理解できたのでは、と思います。

理性を用いて理性を批判(分ける)することによって、理性が扱う概念、つまり経験では認識し得ない概念は、「魂の不死」「神」そして「自由」であり、これらは認識不可能であり、仮象であるとカントは考えました。「魂の不死」と「神」が認識不可能というのはなんとなく理解できるのですが、「自由」という概念がここに入っているのがポイントで、これをしっかり考える学問、自由の法則の学問が実践哲学であり、倫理学であると考えたカントは、『純粋理性批判』第1版出版後、今回取り上げた『人倫の形而上学の基礎付け』を世に送り出したのでした。

ところで『人倫の形而上学の基礎付け』といいうタイトルですが、まず人倫(Sitten)という言葉ですが、これは道徳と置き換えても大丈夫で、そもそもは風習・習俗といったような意味になります。そして基礎づけという言葉は、先ほども書きましたが、土台、ジャンプ台というような意味になります。岩波文庫版では「原論」となっておりますが、現在日本では3つの出版社から出ておりまして、それぞれタイトルも異なります。

・『人倫の形而上学の基礎づけ』(中公クラシックス)
・『道徳形而上学の基礎づけ』(光文社古典新訳文庫)
・『道徳形而上学原論』(岩波文庫)

私は岩波文庫版を読みましたが、光文社の古典新訳文庫も少し読んでみましたが、重要なキーワードの訳が異なり、前知識がないまま読み進める場合には、光文社古典新訳文庫がいいかなと思いました。しかし網谷さんに今回詳しく解説していただいたおかげで、むしろ岩波文庫版の方に愛着がわきました。

光文社古典新訳 読書と哲学 カント倫理思想を考える  岩波文庫版 読書と哲学 カント倫理思想を考える

倫理の問題は、一見すると、結局良い悪いは人それぞれで、なにか統一した理論などないのでは、と考えられるかもしれません。何百万人の人の命が助かるなら、一人の何の罪のない人を殺してもいいのか、その人が自分の友人や肉親であったらどうなるか。あるいは、嘘をつくのはいけないことではあるが、嘘をつくことによって人を救えることができるのであれば、嘘をついてもいいのではないか、などなど、いろいろな例が考えられますが、その時の状況によって判断は異なり、統一した理論や法則などは見出せないように思えます。

しかしカントははっきりと断言します。以下の三つは、網谷さんが分かりやすく抜粋してくれたものです。

1 「絶対的に善いものは、善意志guter Willeだけである」

2 「義務の法則は定言命法だけである」

3 「善意志こそが自由である」

善意志は、「義務を動機にしているときに善である(義務に表面上合致しているとき)」と考えられ、「その義務の法則は定言命法だけである」と定義されます。そして肝心の定言命法は以下のようなものです。

「ある格率が普遍的な法則になることをあなたが同時に意志できる場合にのみ、その格率にしたがって行為せよ」

格率とは、ちょっと日常生活では使われない言葉ですが、かなり大雑把に言ってしまえば、“自分ルール”のようなものです。(網谷さんに、「格率」は要するに“自分ルール”だとさっくりと教えてもらった時、なんだか一瞬にしていろいろなことが理解できたように思えました)
自分が決めたルール・生き方、例えば絶対に嘘をつかない、という法則が普遍的なものであると意志できる場合にのみ、その自分ルールにしたがって行為せよ、ということになります。
さて、定言命法と対になるものが仮言命法です。仮言命法についても少し解説しようと思います。

「AがBならば、Cすべし」 仮言命法
「Pすべし」 定言命法

例えば、「急がば回れ」という言葉があります。これは、「急いでいるのなら」(何か目的に向かって進みたいのなら)「回り道せよ」(遠回りでもゆっくり進め)という程度の意味になりますが、これは仮言命法です。仮言命法は、条件付きであり、定言命法は、無条件に「〜すべし」となります。上の「急がば回れ」を定言命法にあえてすれば、「回れ」となります。急いでいても、急いでいなくても、「回れ」ということになります。
世の中のさまざまな格言も、結局は仮言命法だと考えられます。「早起きは三文の得」「石橋を叩いて渡れ」などなど。

さて、カントは突き詰めていくと、上にもあげた定言命法「ある格率が普遍的な法則になることをあなたが同時に意志できる場合にのみ、その格率にしたがって行為せよ」が唯一であると考えました。この中に意志という言葉が出てきますが、これが自律という概念に繋がり、最後の「善意志こそが自由である」というテーゼに結実します。
ここで、『純粋理性批判』で示された、理性が扱いうる概念の一つ、自由という言葉が出てきて、なにかまとまった感があるように思えました。

「自由はたしかに道徳法則の存在根拠であるが、道徳法則は自由の認識根拠である」
これは『実践理性批判』の序文の言葉ですが、理性的存在者は他に依存することなく、目的自体として存在する、つまり自律している。それは因果関係の連鎖から抜け出ている存在であり、自由である。このように考えることができ、その意志する自由、それがすなわち善意志、絶対的に善いもの、と捉えられるのです。

実は今回の勉強会では、後半に参加者からの質問や疑問に答える時間を比較的多く取ったため、最後まで網谷さんに解説してもらうことができず、私自身、完全に理解できておりませんでした。『人倫の形而上学の基礎づけ』は、序言と三つの章によってできていますが、最後の第三章にはあまり踏み込むことができませんでした。第三章は、「善意志こそが自由である」という部分を特に解説しているところです。しかしそれでも主要なテーマは解説していただくことができ、カントの倫理思想の大きな枠組みは理解できたのではと思います。

以上、かなり大まかに今回の勉強会で話されたことをまとめてみました。私が理解できていない部分も多々あるので、正確に伝わっていない箇所もあるかと思います。申し訳ありません。いろいろと分かりやすい例えを交えた網谷さんの解説に、参加者の皆様も感動しており、時々、おおー、とうなる声が聞こえました。その日は参加者全員が自らの感性と悟性、それに理性をも目一杯駆使した一日になったと思います。

私個人の感想として、カントの徹底的なまでの形式主義・理性主義は、確かに現実離れしていて、全く意味をなさないのでは、という非難は理解できる面もあるように思えますが、しかしそれでも、ここまで論理的に言葉で説明し尽くすことは大変重要なことだと思います。カントはしばしば「理性的存在者」という表現をします。それは人間のことを意味している場合がありますが、しかし人間以外にも「理性的存在者」がいるのであれば、その存在にも通用する法則としてカントは倫理思想を打ち立てようとしています。その存在がロボットであれ宇宙人であれ、とにかく「理性的存在者」であれば、なにも人間に限ったことではないのです。そういう意味で、カントはヒューマニズムすらをも超越した視点で物事を考えていたのではと思えます。民族や人種、宗教を超えた視点、徹頭徹尾、理性を重んじる姿勢、それが不可能であっても、その徹底的に考え尽くす姿勢、少なくとも地球上では人間のみ持ちうる理性という力を用いて、あくまでも論理的に考え尽くすカントという人物に、私は共感し、感動すら覚えました。

自分の頭でしっかり考えるということがあまりなされず、また皆で議論されずにいろいろなことがいつの間にか進んでいってしまう現在において、カントのこのような姿勢には、見習うべきところがあるのではないかと、私は強く感じました。

クラリスブックス 店主 高松

 

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