子羊の悲鳴で眠れない女と、本を焼く男に世界を拓く少女

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文・石鍋健太

クラリスブックスが下北沢に開店してから1年と3カ月、「クラリス」とだけ聞いて当店のことをまず思い浮かべてくれる方はこの世にどのくらいいるのでしょうか。わりと自虐的な気持ちでグーグル検索したところ、意外にも2ページ目の下の方にクラリスブックスのツイッターアカウントが出てきました。みなさんのおかげです。

ところで、クラリスブックスはなぜクラリスブックスなのでしょうか。気になりませんか。別に、という感じですか。すこしでも気になったら以下お読みください。

■ 幻の「ナイスブックス」

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「クラリスブックス」の命名者は当店の店主・高松徳雄です。私がはじめてその名を聞いたのは、忘れもしない2013年の春先、某シンガポール料理屋でのことでした。新しく古本屋をはじめるにあたって、とにかく名前を決めようということで集まり、いくつかの候補を持ち寄って披露し合ったそのなかに、「古書クラリス」「クラリスブックス」の名がありました。私はなぜか自信満々で「ナイスブックス」「ノリオブックス」の2案を携えて会合に臨んだのですが、「クラリス」を前にして自分が恥ずかしくなりました。高松はとにかく自分の好きな映画の登場人物をノートに羅列し、それらと「ブックス」「古書」「古書店」といった語を組み合わせており、特に意味合いは考えずに「好き」と「響き」だけを重視している感じがとてもよいな、と私は思いました。

「クラリスは『羊たちの沈黙』のクラリスですか」

聞くと、彼はやや照れつつ頷いたものです。映画の登場人物の「クラリス」というと、統計上多くの人が宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』を思い浮かべますが、あのクラリスもすごくよいですが、クラリスブックスの「クラリス」は、後に多くの類似作品を生み出したサイコサスペンスの傑作、『羊たちの沈黙』の女性FBI捜査官クラリス・M・スターリングなのです。

「クラリス」と「ブックス」の「ス」が重なることを気に病んだり、ほかのいろんなクラリスを連想されてしまうのではないか、古本屋にしてはちょっとかわいくてオシャレすぎるのではないか、などと変に心配したりで1カ月くらい逡巡した後、ついに「やはりクラリスでいこう!」とエグゼクティブ・デシジョンが下されたのでした。

■ 迷える子羊ロゴ

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すでに述べたとおり、この時点では「クラリス」には何の意味合いも込められていませんでしたが、「ロゴは子羊」ということは決まっていました。『羊たちの沈黙』で、少女時代のクラリスが牧場から抱いて逃げた哀れな子羊です。その後開店準備を進めるなかで、キリスト教における人間の象徴としての “ 迷える子羊 ” は知の宝庫である古本屋にふさわしいということに思い至ったり、クラリス・M・スターリングのように「勇敢で知的で美しい」古本屋を目指そうみたいな方向性が生まれたり、後づけで徐々にイメージが固まっていったのでした。

クラリス錠

▲ 先ごろインフルエンザに罹った際、お世話になった抗生物質のクラリス錠

そしていまや店側の人間にとってはすっかり耳に馴染んだ「クラリス」。勇敢で知的で美しいお店を目指して、ほぼきれいに世代の分かれた3人でがんばっております。私は別の稼業との兼ね合いで最近は週1回ほどしか店頭に立てず、もっぱらブログでの登場となっておりますが、迷える子羊の1人としてこれからも暗黒の谷を突き進んでいこうと思います。

■ もう一人の少女クラリス

華氏451度

余談ですが、つい1カ月ほど前、私はこれまで知らなかったクラリスと出会いました。レイ・ブラッドベリの長篇『華氏451度』に出てくる少女クラリス。あらゆる本が禁制品として “ 焚書 ” の対象となった未来の思想管理社会を描いたSF作品に、クラリスがいたとは。しかも、主人公の焚書官モンターグがそんな社会に違和感を覚え、本の魅力の虜になっていくのは、ほかならぬこのクラリスのおかげなのです。本を焼く男に世界を拓く少女。古本屋の名に冠するには畏れ多く、気恥ずかしいほどの符号を見つけてしまいました。

古今東西様々な本が集まってくる古本屋としては、本読みのお客様たちにとっての小さな小さなクラリスでありたい、などというさらに気恥ずかしい台詞で本日のブログを締めくくるわけにもいかないので、『華氏451度』で個人的に心に響いた台詞を2つ引っぱって結びといたしましょう。

「本のなかには、なにかあるんだ。ぼくたちには想像もできないなにかが――女ひとりを、燃えあがる家のなかにひきとめておくものが――それだけのなにかがあるにちがいない。なんでもないもののために、だれだって焼け死のうとはしない」

「書物とは、いわばシーザーの近衛兵のようなものだ。ローマの街頭を行進しながら、小声で、“ 忘れるな、シーザー、おまえもまた、ただの人間であることを ” とささやいておった近衛兵だ」

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