クラリスブックス古本買取あんぱんまん

文・石鍋健太

子どもと楽しさを共有できるたくさんの作品のなかで、『アンパンマン』ほどシンプルかつ本気で誠実なものを私はあまり知らない。
頭部が交換可能なアンパンでできたヒーロー、アンパンマン誕生の背景にやなせたかしの従軍経験があるのは有名な話だ。戦場で「正義」という言葉のキナ臭さと飢え苦しむ人々の実態を思い知った彼は、強い力で敵を倒すだけのヒーローに、そしてそれが「正義」として描かれることに違和感を覚えた。その後 “ 売れない作家 ” として長らく不遇の時代を送るなか、「人生で一番辛いのは食べられないこと」なのになぜ世のヒーローは人々の飢えと空腹に関心を払わないのかと不満をいっそうつのらせ、ついには「空腹を満たすことこそ究極の正義」という信念を醸成するに至った。それをほとんどそのまま具現化したのが『アンパンマン』なのだ。

■ この戦いは永遠に続く

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アンパンマンはいつも、「おなかがすいて困っている人」に自分の顔を食べさせてやるためパトロールに出かけ、やがて顔面をベコベコにしてパン工場に帰ってくる。その任務をバイキンマンやカビルンルンやムシバキンマンやカゼコンコンといった悪役らが阻もうとする。ごくシンプルな構図であり、理に適っている。「なぜ敵はいつも同じ失敗を繰り返すのか?」「なぜヒーローは敵にとどめを刺さないのか?」 多くの子ども向けアニメ作品はこの種の疑問に直面すると言葉をにごすしかないが、『アンパンマン』においては次のような回答が可能だ――「なぜならこれは食べ物とばい菌の戦いだから」。アンパンマンが「食べること」への執着の果てに生み出されたヒーローであるならば、同時にその宿敵としてばい菌や病原菌が生命を得るのはしごく当然の成り行きだ。そしてアンパンマンがどれだけアンパンチでバイキンマンをぶっとばしても、世界からばい菌や黴や病気は消えてなくならないし、また逆にバイキンマンがどれだけアンパンマンの顔をグチャグチャにしても、ジャムおじさんは新たなアンパンを焼き続け、ジャム工場破壊計画はことごとく頓挫する。

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▲ アンキーック

16世紀にオランダの眼鏡職人が顕微鏡を発明し、自らの手に蠢く無数の細菌を人類史上初めて目のあたりにした瞬間から果てしなく続いてきたおなじみの戦い。そのテーマを体現する戦士がアンパンマンやバイキンマンなのだ。世界が存在するかぎり彼らの儀式のような戦いは終わらない。荒唐無稽、子どもだましと侮る向きもあるかもしれないが、このように『アンパンマン』の世界には一本強固で真直ぐな芯が通っているのである。

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▲ しょくぱんまんの正しい食べ方――1、おひさまでトースト、2、顔の前面をスライス

かつて、「顔を食べる発想は残酷」とかいう意見に対して、やなせたかしが「いや、パンだから別に大丈夫」と答えたというエピソードは、この芯を象徴的に際立たせる。なにしろ顔がパンでできているのだから食べるのは当たり前だし、ばい菌に汚されたパンを次のパンに取り換えるのもごく自然な発想なのだ。残酷とかじゃない、パンなのだパン。反論の余地はない。

■ いのちがけでつくろう、いのちのパンを

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私の知る限り、やなせたかしの信念や思想が最も強烈にあらわれたのは、2011年夏に公開された『それいけ!アンパンマン すくえ!ココリンと奇跡の星』、やなせたかしの生前最後から2番目の作品を下敷きにした映画である。最後の『よみがえれ!バナナ島』(2012)もすばらしかったけれど、個人的にはやなせたかし自ら「アンパンマンの原点」と語った『ココリン』を推したい。

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▲ ヘンテ星人のココリン(中央)、アンパン初体験

プロットは省略して、あるシーンについてだけ語ろう。物語の終盤、バイキンマンの策略によって凶暴な怪物「ブラックココリン」として巨大化してしまったココリンの心を取り戻すため、アンパンマンが「僕にはこれしかできない」と叫びながらその怪物の口のなかに飛び込んで自分の顔をまるごと差し出した時、私は震えた。「腹を満たせばなんとかなる」「とにかく食べることが大事」とそれだけを突き詰めてきた作家の信念があまりにも真剣、かつ爽快に炸裂したからだ。

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ココリンは、かつて感激したアンパンの味によってすべての記憶をよみがえらせ、元の姿に。もちろん事態はなんら改善せず、顔を失ったアンパンマンにバイキンマンの魔の手が迫る。しかも頼みの綱のジャムおじさんらは、パン作りの作業が不可能な姿かたちに変身させられてしまっていて絶体絶命。

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▲ いろいろあってこんな状態のジャムおじさんたち

そこで当然、これまで一度もパン作りに成功したことのないココリンが名乗りをあげることになる。「ぼくがアンパンマンの顔を焼く!」 これに続くジャムおじさんの台詞は、この映画全篇を通じて最も素晴らしかった――

「まずは粉を練るんだ!」

私はやなせたかし自身の叫びを聞いた気がした。とにかく食べるんだ、腹を満たせ!そのために粉を練れ!パンを焼け!ばい菌を蹴散らせ!いますぐやるべきことをやれ!
この後ココリンが見事焼き上げたアンパンによってアンパンマンが復活し、ヘンテエネルギーとヤミルンルンでパワーアップしたバイキンマンを打ち倒したことは言うまでもない。

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この一連のクライマックスに、シンプルかつ本気、そして誠実な『アンパンマン』の真髄がすべて込められている。後はダメおしで映画のテーマソングの一節を引いておけば事足りるはずだ。

「おいしいパンをつくろう/生きてるパンをつくろう/いのちがけでつくろう/いのちのパンを」
もちろん作詞はやなせたかし。

■ アンパン食べたい

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私はやなせたかしの思想を賛美・啓蒙する気はまったくない。むしろ、乱暴にいえばそんなものはどうでもよいとすら思っている。敬意をもって作家の意図や思想を無視した上で、それらがどんなあらわれ方でこちらの心に迫ってくるのかを大事にしたい。ワールドワイドウェブになんでもかんでもばらまけるようになって久しく、ちょっと油断するといろいろごちゃごちゃ情報とか考え方とか作品とか主張とかが周りに浮かびまくっているけれど、人生短いことだし中途半端に迫ってくるようなのや全然迫ってこないようなのはなるべく見たくない、とんでもないものにたくさん出逢いたい。その点、『アンパンマン』はいつもけっこうすごい。ありがとう、アンパンマン。それいけ、アンパンマン。