文・クラリスブックス 高松

映画のチラシは実にさまざまことを物語る。プルーストではないけれど、一杯の紅茶から壮大な物語が展開されるように、ふとしたことから過去のさまざまな思い出が突如として溢れ出てくることがある。人間の感覚は鋭い。紙の匂い、肌触り、わずかな音から、一瞬のうちに記憶が蘇ることだってあるだろう。

『ピロスマニ』という、ジョージア(グルジア)映画のチラシを目にした時、私の頭の中に多くの思い出が溢れ出てきた。


▲1978年の日本公開時のチラシ。

ところで、映画好きの人には自分のベストムービーなるものがあると思う。一つに絞ることができなくても、数本のオールタイムベストが存在するはずだ。私にも何本かそういった作品が存在する。
しかしそれとは別に、特に印象に残った作品、思い出深い作品、なぜか忘れられない作品というものも存在する。一番最初に映画館で見た映画、初めてのデートで恋人と一緒に見に行った映画など。
私にとってそのような思い出深い作品は、『遺言 女のいる風景』という、旧ユーゴスラビアの映画だ。『ピロスマニ』のチラシが私にそのことを思い起こさせてくれたのだ。

この作品、おそらく誰も知らないだろう。
『遺言』、なぜか私は奇跡的に見に行った。1991年、高校生の時である。映画館は、今は無きシネ・ヴィヴァン・六本木。なぜこの映画を見に行ったのか、全く覚えていない。おそらく、乱読ならぬ乱観とでもいったような時代だったため、時間的に都合のいいものを単純に選んだに過ぎないのかもしれない。もう30年近く前の話である。

牧歌的を通り越して、少し荒涼感すらある東欧の草原の片田舎、そこに一人の森林監督官が赴任する。一見何の変哲も無いおじさんだが、彼の趣味は絵を描くこと。風景を描いたり女性を描いたり。妻をヌードモデルにされたことで、ただでさえ保守的な村人達は監督官を嫌って排斥しようとするが、しかし、村の集会場の壁面にみんなで一緒に絵を描いたり、商売っけのある男が絵を売ろうと持ちかけたりと、いろいろな出来事があり、次第に打ち解ける。


この映画、特に劇的なストーリー展開などない。68分の映画である。ただ、私はこの作品に異常なほど感動した。最後の最後、一人の女性がこちらに向かって語りかける。ほとんどドキュメンタリーのような作風、淡々と続く殺風景な田舎の草原の描写、しかしラスト、突如として観客に向かって語りかけるその言葉、その悲しげな語り、そこにはこの映画の本質どころか、人間という存在そのものすら見抜いているかのような深さがあり、私は思わず涙した。私が絵画や芸術というものに特別興味を持ったのは、この映画を見たからだろう。
人間とは何か、という抽象的な問いかけではなく、何が人間なのか、何が人間たらしめているのか、という、より本質的なテーマがこの映画には内在しているのだ。

私の中でこの映画が伝説になったのは、この映画が全く無名で、おそらく当時でさえそれほど話題になっておらず、実際、私は自分の他にこの映画を見た人を知らない。そんな状況もあって、私の中では、特に思い出深い作品になったのだった。もちろんDVD化はされていない。
監督・脚本はイビカ・マティク。27歳で夭折した、ユーゴスラビア映画界の天才といわれた人だった。彼の弟子に、あのエミール・クストリッツァがいる。『遺言』は、1976年、撮影完了後に心臓発作で亡くなった監督に代わって、クストリッツァや他の彼の弟子たちが編集し、完成させたのであった。
彼らが埃のかぶったフィルムを発掘したのはマティクの死後14年経ってから。このフィルムを世界に知らしめなければという強い想いで、完成させたのだった。

この映画の冒頭に掲げられるクストリッツァの感動的な一文が我々の心を突き刺す。

「私が死ぬ時、このフィルムと共に埋めてくれるなら、私は死をも恐れはしない」

これは『遺言』公開時の宣伝コピーとしても使われたのだが、私が見に行った理由は、ひょっとすると、このあまりにも力強い言葉に惹かれたからかもしれない。

 

さて、前回のブログ(一番最初に映画館で見た映画)でも書いたが、少し前に店に映画のチラシが大量に入ってきた。それほど古いものは無く、高価なものはないと思われるが、ファイルに入ったチラシをぱらぱらとめくっていると、上に挙げた『ピロスマニ』のチラシが目に飛び込んできた。
『ピロスマニ』、数年前、岩波ホールでリバイバル上映されたのを見て、とても感動したのを覚えている。そして、私はこのチラシを発見したその瞬間、30年近く前に見たイビカ・マティクの『遺言』を思い出したのだった。
なぜだろう。『ピロスマニ』はジョージア(グルジア)映画で、場所も全く異なるけれど、しかしどことなく西ヨーロッパには無い、独特の風景というものはある。そして、なんといっても映画の主題が芸術であることも私にそう思わせた要因ではないだろうか。ピロスマニは実在の人物である。その画風は、どことなくアンリ・ルソーを思わせる。『遺言』に登場する数々の絵画も同様に、とても素朴な作風で、ピロスマニの作品を彷彿とさせる。

そしてもう一つ。
私は1991年に『遺言』を見たのだが、私は全く忘れてしまっていたのだが、実はこの映画はもう一つの短編映画との同時上映であった。その映画は、パラジャーノフの『ピロスマニのアラベスク』という20分の短編映画であった。私が当時購入した『遺言』のパンフレットを見返すと、そこには粗末なコピー用紙が挟まれていた。そこに、パラジャーノフの『ピロスマニのアラベスク』の解説が記されていた。
そう言われると、なんとなく、美術館の映像というか、おそらくピロスマニの絵と思われる額が飾られた部屋が映し出されていたような、という微かな記憶が少し蘇ってきた。

私が日本初公開当時の『ピロスマニ』のチラシを見た時に、『遺言』を思い出したのは、ひょっとすると、無意識にパラジャーノフの『ピロスマニのアラベスク』のことを考えたのかもしれない。無意識というより、条件反射とでもいえる感覚かもしれない。

さて、『ピロスマニ』は10月13日から、岩波ホールでジョージア映画特集が開催される時に、再上映されるとのこと。時間を作って、ぜひまた見に行きたいと思う。

私の店に入ってきたチラシは最初の公開のものだが、そのチラシから、自分にとって特別な思い入れのある映画が蘇り、そして調べてみると、その映画と同時上映で、監督は異なるけれど、同じピロスマニという画家を題材にした映画を見ていたという不思議な繋がりを発見することができた。
これは全くの想像だが、この『ピロスマニ』は、日本初公開は1978年だが、製作年は1968年のようだ。ユーゴスラビアでどのくらい当時のグルジア映画を見る機会があったのか、当時のヨーロッパ、特に東欧の社会状況、文化状況など、私には皆目わからないが、イビカ・マティクがこの作品を見て、何かしらの影響を受けたとも考えられないだろうか。言葉の問題で私にはこれ以上調べることができないのが、残念でならない。

 

*参考文献 映画『遺言』パンフレット 平成3年(1991年)発行 松竹富士株式会社/株式会社アルシネテラン