文・クラリスブックス 高松
先日、遅ればせながらアピチャッポンの『光りの墓』をイメージフォーラムに見に行って、ラスト、一体自分自身の中にどのような化学反応が起こったのかわからないが、胸の奥からこみ上げる何か得体の知れないものがあり、思わず涙した。
映画の趣味が同じで、おそらく私の倍以上観ている方と延々と映画について3〜4時間語り合った際、マイベストムービーはなんだろう、という途方も無い話題になり、さすがに一本に絞ることができなかったけれど、『8 1/2』『ベニスに死す』『2001年宇宙の旅』『アンダーグラウンド』『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』『暗殺の森』『七人の侍』『アマデウス』『ゴッドファーザーパート2』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『サクリファイス』などというタイトルがつらつらと我々二人の間に流れ出した。
『光りの墓』を見て数日後、ふと、その時の会話を思い出し、『8 1/2』と『アンダーグラウンド』が頭の中に蘇った。この3つの映画に共通するものといえば、なんのことはない、ラスト、皆がある統一された音楽とそのリズムに合わせて体を動かすということである。
体を動かす、それはかなり統一された動きのものもあれば、ばらばらに好き勝手に、ちょうどパーティーで飲み過ぎた人たちが盛り上がって踊り始めるといったようなものだったりもする。
ともかくそこにはある一定の何か共通の価値観、あるいは世界観が存在していて、それを音楽という力でつなぎ止める、その力強さに我々観客はあたかもスクリーン上の登場人物たちと一体となって、まさにその輪に入ることで、信じられないような感動を引き起こす。それは、ベルイマンの『第七の封印』でも言えることかもしれない。
上に挙げた映画とは全くジャンルが異なるけれど、私にとっては映画というジャンルを飛び越えてしまっている『スターウォーズ』、そのエピソード6「ジェダイの復讐」(ジェダイの帰還)は、劇場公開版では、ラスト、イウォークたちの大合唱ととともに幕を閉じる。BGMではなく、劇中から溢れ出る大合唱。この一体感、スクリーンを飛び越えて我々観客をも巻き込む一体感こそ、映画の一つの醍醐味のように思える。
現代アートのような映像、そして、特に何か劇的な展開などないアピチャッポンの『光りの墓』は、劇中の「眠り病」の兵士たちと同じく、人によってはスヤスヤと寝てしまう可能性のある映画だが、その朦朧とした世界を通り抜けた時に訪れる優しくポップな音楽は、私にとっては全く新しいもので、衝撃であった。
映画は、スクリーンに映し出される映像と観客の一対一の対話だが、最終的にカーニバル的盛り上がりを見せることで、それまでの緊張が一気に解きほぐされ、その関係性は一対一ではなく、同等の関係性に変化する。それによって観客はスクリーンの中に吸い込まれてしまう。こういう体験のできる映画は何年、いや何十年に1本かもしれないが、結局、そういう奇跡的な出会いを求めて、私は映画館に足を運んでいるのかもしれない。
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