ウェブマガジンのアパートメントで、岡﨑真理さんの連載が始まった。
彼女はパリで活動されている書道家。私は、少しの間アパートメントで記事を連載していたことがあり、その繋がりから、今回は真理さんの記事のレビューを書くという、とても重要な仕事を任されたのだった。
書道家の方が書かれた記事のレビュー、よくよく考えたら、私には絶対無理、私には向いていない、と思うのだが、アパートメントを管理されている朝弘佳央理さんにレビューの依頼をいただいた時、ちょうど、映画『ラ・ラ・ランド』を見た帰りで、気分が高揚していたので、「はい、いいですよー、やりますよー!」と勢いで返事をしてしまったのだった。映画とは恐ろしいものである。
結果的には、岡﨑真理さんの記事は専門的なものではなく(少なくとも、今後もそういう方向には進まないようで)、書道を知らない私にも判りやすく、そして、楽しく読めるものだったので、私の心配は杞憂に終わったが、それでも、私にとって、「書道」というものに、ある種の憧れ、郷愁、そして、罪悪感のようなものを感じるのであった。
それは、私が小学校二年生の時だった。
親の知り合いに書道教室の先生がいるということで、私は友達と二人で、とりあえず一度行ってきなさいと言われ、教室に行ったことがある。今で言うところの、体験レッスンのようなものだ。新学期が始まった春先だったと記憶している。
1982年の話、『ブレードランナー』と『E.T.』が公開された年でもある。
そもそも、私は書道教室に行くのがとても嫌だった。なぜかと言えば、筆や墨汁など、書道の道具を一式入れておく、ビニール製の書道ケースが、姉のお下がりだったので、赤い色のものだったからだ。
赤という色は、特に嫌いな色ではない。むしろ好きな方だ。別にファンではなかったが、私は小さい頃は広島カープの赤い野球帽をかぶっていたし、海水パンツも赤だった。ちなみに今仕事で使っている車も赤だ。だから、赤が嫌いというわけではなく、女の子が使う赤い書道ケースを使わなければならないということが、とても嫌だったのだ。なぜ姉のお下がりを使わなくちゃいけないんだ!
子供はそういったところにとても敏感である。私には兄もいたが、今思えば、なぜ兄のお下がりがなかったのだろうか、と思う。実は、私は姉と兄とはかなり歳が離れている。私が小学校二年生の時、二人はすでに大学生と高校生。だから、兄の使っていたものはすでにどこかにいって無くしてしまったのかもしれない。それで、姉の赤いケースがなんとか残っていたので、それを使うことになったのかもしれない。ともかく、私は赤い書道ケースを使うはめになった。
こんなことだから、そもそも行きたくなかった。
書道教室は、先生の住んでいる一軒家の一階の居間で行われており、入ると、子供が15~6人座って、一所懸命に書を書いていた。私と友達も同様に座って先生の言われるままに書いていたが、私は落ち着きがない子供だったようで、だから、早く外に出て遊びたくなった。細かくは覚えていないが、私は途中で脱走して、一人で帰った記憶がある。ともかく、友人を置いて帰ったのだ。
その後、私は書道教室に行くことはなかった。今までの人生の中で、書道教室に行ったのは、その時が最初で最後、時間にして、おそらく20分くらいだっただろう。
それで話は終わるのだが、私がこの書道教室のことを覚えているのは、その後、私にとって衝撃的な出来事があったからだ。
夏休みに入り、私は友達と遊びまくっていた。プールに行ったり、学校の校庭で遊んだりしていた。ある日、書道教室に一緒に行った、あの友人の家に遊びに行った。
彼の家はお世辞にも立派とは言えず、新しい住宅群が立ち並ぶ年代以前の、木造の長屋のような感じだった。その後、彼の家族は郊外のニュータウンにできた巨大なマンション群に引っ越すことになるのだが、ともかく、当時の彼の家は、狭い部屋に、両親と弟の四人で、なんとも狭苦しく暮らしていた、という印象だった。
そして、その光景を私は今でも鮮明に覚えている。
彼の家の玄関というか、勝手口というか、その狭い入り口から居間に入ると、壁一面に、びっしりと書道の半紙が飾られていたのだ。何が書いてあったのかは忘れてしまったが、おそらく、「青空」とか、「友人」とか、「学校」とか、「海」などと書かれていたと思われる。先生の二重丸の“朱”、なかには花丸もあったであろうその半紙は、私が彼をおいて一人脱走した書道教室で、彼がこつこつと書に励み、先生からほめられるほどに上達した証なのだった。
私は自分の行いを恥じた。その光景を目の当たりにする時まで、そもそも書道教室のことすらすっかり忘れてしまっていたのだ。
今まさにここにこうして昔の思い出を記すことができるのも、その光景のあまりの鮮明さと、衝撃による。
今回アパートメントにて、書道家の岡﨑真理さんのレビューを担当する私は、そこに何か因縁めいたものを感じてしまった。書道教室を脱走した私が、書道家の方の記事のレビューをする。人生とは、ほんとに、面白いものである。
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