こんにちは、店主の高松です。
8月2日、すさまじい暑さと湿気が夜になってもまだまだ続いている中、ブラッドベリの『華氏451』読書会を開催しました。
課題図書の『華氏451』、クラリスブックスの読書会では初めてのSF作品になります。前々からSFを取り上げてほしいという要望があり、また、私もSFは好きなので、P.K.ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』や、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』などを取り上げてはどうか、という話が出てはいましたが、この作品『華氏451』は、その内容から、本を扱い、それで生活している人間としては、ぜひ取り上げなければ、と思い立ったのでした。
私はこの作品を読んだことがありませんでしたが、ぼんやりと、“本を燃やす”ということがメインテーマであることは知っていました。本を燃やす仕事が存在する世界、本を燃やすことは正義であり、本は悪で、それは存在してはいけないものという価値観がまかり通っている世界、一体どのような世界なのか?
参加者の多くの方は、今回初めてこの作品を読まれたようでした。また、SFというジャンルをあまり読まれていない方、ちょっと苦手、と思っている方もいらっしゃったようでした。ただ、中には中学生の頃に最初に読んで、今回で3回目という方や、ブラッドベリはもとより、その他いろいろなSF作品を多数読んでいらっしゃる方もいらっしゃいました。
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さて、いろいろな意見、感想がありましたが、私が皆さんの話を聞いたり、また私自身思ったことを、かなり大まかに整理すると、まず、本を燃やすなんて許せない!あり得ない!というもの。そして、なぜそのような社会になったのか。さらに、何の為か、それは正義なのか?というところが主な話の焦点だったように思えます。もちろんその他、未来社会の描写について、映画との対比、新訳と旧訳についてなども話に上りました。
どのような作品も、作者がその作品を執筆した当時の社会情勢や、政治、文化などが影響されます。ブラッドベリがこの作品を書いた1953年、アメリカではマッカーシズムが幅を利かせ、いわゆる赤狩りが行われていました。それは政治の世界だけではなく、広く文化、芸能、芸術の世界にまで及び、多くの人が逮捕されたり、国外追放になったりしました。チャールズ・チャップリンも1952年に国外追放となっています。
そのような思想の弾圧の象徴が、まさに“本を燃やす”ということで表現したかったのではないでしょうか?ブラッドベリは、SFという表現の場を使うことによって、極端にデフォルメされた思想的弾圧を描きたかったのではないでしょうか?
知の象徴としての書物、そしてそれを燃やすということ、主人公モンターグは昇火士(原文はfireman、消防士の意味だが、“昇火”としているところが、同じ音で違う意味を表すことができる漢字のおもしろさ)、何も疑問を持つことなく、本を見つけて燃やすという任務を忠実に遂行しています。
この行為について、皆さんから実にいろいろな話が出ました。それは、先の赤狩りのように、人間の歴史上、このような行為、思想的弾圧が実はいろいろなところで行われていたのでは、というものです。
カンボジアのポル・ポト派の知識人弾圧や、ナチス・ドイツの、マルクス主義的なもの、ユダヤ的な本の弾圧、戦前の日本で行われた左翼的な本の検閲、弾圧、さらに遡れば、エジプトのアレクサンドリア図書館の焼き討ち、中国の始皇帝の焚書・坑儒などなど。
知識を封じ込めることで平和を保とうとする、安定を目指す、そして人々を支配する。私はこのことについて、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』をふと思い浮かべました。主人公ウィリアム修道士は図書館の蔵書を見せろと迫る。長老ホルヘがそれを阻止する。歴史とは荘厳なる反復運動に他ならない、と説く長老ホルヘ。この思想は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官にも通じるものです。実際、『華氏451』の中で、主人公モンターグの上司であるベイティーは、本がいかに有害であるかを捲し立てますが、実は本についてものすごく詳しい。読んでいないとわからないんじゃないかというほど、いろいろなタイトルが出てきます。この対立の図式は、ウィリアム修道士と長老ホルヘ、そしてキリストと大審問官の構図と重なります。
SF作品である『華氏451』は、実はとても深刻な問題提起をそこに備えていて、今ではアメリカの学校で必ず読まれる基本図書にまでなっているという話も頷けます。
私はこの作品を読んで、SFというよりファンタジー、もっと言えば、メルヘンではないかと思いました。というのは、まず、すべての本を焼き尽くすということは不可能だと思ったこと、そしてそこに西洋ではもっとも大切な書物、聖書すら含まれているということ。もしこれが実現する社会が成り立つとしたら、それは100年200年後などではなく、1000年後、5000年後、いや、もっと先なのでは、と思ったからです。(本の前に人類が先に滅亡している可能性の方が大きい)だからこそ、本を焼くということ=思想的弾圧=知の排斥という問題の提起は、SFという場で表現することで、ある種の寓話として、ほとんど神話のように語り継がれるようなものとしたかったのでは、と思いました。
それはどこか、プロメテウスが人間に火をもたらしたというギリシャ神話にも通じるものがあるように思えます。この神話の場合、火というものが、技術や知識の象徴というところが面白いと思います。この小説の中でも、終盤に仲間達とたき火をして暖をとる場面があって、火が破壊するものではなく、逆に何かを与えてくれるものでもあることが示唆されています。
クラリスブックスの読書会は、この『華氏451』でちょうど20回目でした。いろいろな本を取り上げましたが、この作品は、実はものすごいテーマを語っていて、人間にとって最も深刻で、重大で、根源的な問題を我々読者に提起しているのだと思いました。
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さて、今回の読書会はSF作品ということで、SFに詳しい参加者の方が、「今回、初めてSF小説を読んだ方のために」というタイトルで、簡単な解説文をまとめてきてくれました。
その中の、SFの分類のところをこちらでもご紹介させていただきます。
<ハードSF>
科学性の極めて強い、換言すれば科学的知見および科学的論理をテーマの主眼に置いたSF。
例)『日本沈没』『2001年宇宙の旅』『パラサイト・イヴ』、グレッグ・イーガン『ディアスポラ』など。
<スペース・オペラ>
主に、宇宙空間で繰り広げられる騎士道物語的な宇宙活劇のことで、しばしばメロドラマ的要素が入っている。
例)『宇宙戦艦ヤマト』『スターウォーズ』
<ニューウェーブ>
1960年代後半に世界的に広がっていた反体制運動に強く影響されているSF。その主張は、「SFは外宇宙より内宇宙をめざすべきだ」というもの。
例)ブライアン・オールディス『地球の長い午後』
<ディストピア>
ユートピア(理想郷)の正反対の社会を描くもの。一般的には、空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い。
例)ジョージ・オーウェル『1984』 ロイス・ローリー『ザ・ギバー』
その他にもサイバーパンク(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』など)、スペキュレーティブ・フィクション、ロストフューチャーなどがある。
もっとも、こういった分類で区分けすることができない作品も多々あり、分類すること自体いかがなものかという考えもありますが、ある程度強引に分けることで、SFについての理解がより深まるのでは、とも思います。
▲ブラッドベリのその他の作品。『華氏451』以外では、『火星年代記』が有名だと思われます。また、ブラッドベリは恐竜が好きで、可愛い挿絵入りの『恐竜物語』という短編集もあります。
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最後に、、、主人公モンターグを先導するかのように登場する、不思議な少女の名前はクラリスです。当店の名前はここから取ったのでは、と思われた方もいらっしゃったようですが、当店のクラリスは、映画『羊たちの沈黙』の主人公、クラリス・スターリングから取りました。
店名の由来について、詳しくはこのブログをどうぞ!
「子羊の悲鳴で眠れない女と、本を焼く男に世界を拓く少女」
最後の最後、映画について一言。この作品はフランソワ・トリュフォーが1966年に映画化していて、当時の技術でSFを描くのはなかなか難しいものがありますが、しかし、この作品の主眼は未来社会を描くことではなく、“本を燃やす”という行為を描くことにあり、テーマはあくまでも“本”と“火”ということを考えると、うまく映画化されているのでは、と思います。
クラリスブックス 高松
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