自分のなかに、どこかへ向けて拡張したがっている小さな何かを見つけられるかどうか / 水戸芸術館現代美術ギャラリー「拡張するファッション展」の感想

一冊の本が展覧会へと育つ。紙上で語られていた世界が具現化する。それだけで胸高鳴り、いったいどんなことになるのかと想像をめぐらせていましたが、2月22日、ようやくその只中に身を置くことができました。

拡張するファッション クラリスブックス

 * 過去のブログ「拡張するファッション」のこと―こちらからどうぞ

◆ 拡張の予感を孕んだ完結

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の「拡張するファッション展」は、プロローグを含めて全部で七つのセクションで構成されています。各セクションはさらに細かく分けられ、十くらいの部屋と一本の長い廊下の各所にそれぞれ緩やかな境界線で隔てられて展開しているので、来場者は部屋から部屋へと渡り歩きながら、いくつもの独立した世界を体感することになります。

拡張するファッション クラリスブックス

写真でも、絵画でも、オブジェでも、映像でも、ひとつの作品をしばらく見て、見終わって次の作品へ、というスタイルで鑑賞することは本展においてはできません。できないというか、ここでそういうふうにものを見ることにはかなり違和感がある。鑑賞というより、「滞在」と言った方がしっくりくる。まさに他人の「部屋」を訪れる感覚です。

どの部屋も(廊下も)、とても過激で、しかも静かでした。部屋にあるさまざまなものたちは、個別に自らの意味や思いを主張するのではなく、その部屋の世界観をなんらかの形で表す断片として存在している。断片ひとつひとつの意味はよくわからなかったり、そもそも大した意味がなかったりしても、それらはお互いの距離や適したサイズを探り合うように配置されることで、全体としてひとつの世界を形成することに貢献する。部屋が、唯一無二の他ならぬその部屋であるために、その世界であるために、みんなそれぞれすごくがんばっている。部屋を訪れ、そこに滞在するということはつまり、ものたちのそのがんばりの渦に包まれる体験です。これがとても心地いい。

どこにも中心はなく、すべてが交換可能で同時にすべてが欠かせない、だからどこまでも未完成で同時にどこまでも完結した空間。それは、少年が押し入れの奥につくる秘密の箱庭にも似ています。石ころとかネジとかセミの脱殻とかソフトトイのカナヘビとか、自分にしかわからない魅力的なガラクタたちは常に入れ替わり、常に完結した世界を維持しながらも拡張の予感を孕み続ける。

各部屋が具体的にどのような様子だったのか、そこには何があったのか、それは訪れてみればわかることなので説明は控えますが、ひとつおすすめなのは、各部屋にじっくり滞在するということです。ずーっといてもいいし、半券があれば再入場できるので、どこかでお茶でもしてからまた来てみてもいいし、「うわーあの人また来た」とか思われちゃうくらいじっくり味わうのがよいかと。かくいう僕自身は子ども連れだったこともあってあまり長い時間はいられなかったし、オープニングパフォーマンスも泣く泣く諦めたのですが、期間中はまだまだたくさんのイベントやワークショップが予定されています。参加型のプログラムによって展示がどんどん拡張していくような仕掛けが、そこここに見られ、とても楽しそうです。

実は来月下旬にクラリスブックスとしてそのようなイベントのひとつに参加する予定ですので、その際は僕ももう一度じっくり本展を味わおうとひそかに思っております。

拡張するファッション クラリスブックス

◆  パスカル・ガテン―ファッションは分かち合う行為

あともうすこしだけ。林央子さんとパスカル・ガテンさん、そして水戸芸術館のギャラリー監視員のお二人も加わってのオープニングトークについてご報告します。話題は主に、パスカルさん主導で行われたワークショップのこと。

パスカル・ガテン……ヴィクター&ロルフやサスキア・ヴァン・ドリムレンらと肩を並べたアーネム・ファッション・スクール卒。1990年代初頭、マーク・ボスウィックヴォルフガング・ティルマンスなどのファッション写真家とコラボレーションし、初期の「Purple Fashion」にほぼ毎月に渡って寄稿する。1994年3月のパリコレ期間中に開かれたファッションショー「オランダの叫び」に参加。その後アートへの関心を掘り下げ、1999年から6年間、美術・デザイン・理論の研究制作を行う大学院ヤン・ファン・アイク・アカデミーで学ぶ。アート活動と並行して、1998年から教育に携わり始め、様々な学校で生徒を指導。2007年アムステルダムからニューヨークにわたり、8月から美大パーソンズ ザ・ニュー・スクール・フォー・デザインで教鞭を振るう。現在、同校で准教授を務める。

<Questioning the Concept of Uniform (制服のコンセプトについて考える)>と題されたそのワークショップの内容は、ギャラリーの監視員たちが、パスカルさんの導きによって二週間で自分たちの制服を新たに作り上げるというものです。監視員という役割を示すとともに、一人ひとりの個性や感情がこもった唯一の服、いわば「何一つ強いられない制服」を完成させることが目的で、実際展覧会場では、ワークショップに参加した監視員の方たちは自分で作った制服をそれぞれ身につけていました。短いワークショップの期間の最初の一週間は、それぞれ自分のことを話したり、思い入れの深い、自分にまつわるストーリーのある古い布を用意したり、染色の見学をしたり、といった服を作ること以外の思索や対話や観察に費やされ、残りのたった一週間で実際の手作業が行われたそうです。

パーソナルな思いや感情、経験を衣服に刻みつけるということ。それは、「ファッションは私たちの創造性や傷つきやすさを表出させ、他者と自分自身を分かち合う献身的な行為なのです」というパスカルさんの思想を実践した試みのひとつといえるでしょう。

柔らかいデニムとふわふわした白い布とが刺しゅう糸で不規則に縫い合わされた手製のジャケットに、生なりのショートパンツとレギンス、そして茶色いブーツ。それらを春っぽく、身軽に着こなしたパスカルさんはとてもリラックスした様子で、すこし照れくさそうに微笑みながら、「シェアリング」の大切さについて語りました。アイデアはデザイナー個人のもの、というのが通常の考え方ですが、新しいものを作り出すには、考えや経験や知識を広く共有した方がよい、というのが彼女の考えです。僕が素晴らしいと思ったのは、彼女がそのことを万人が目指すべき理想として説くのではなく、文字通りそのまま自分が実践していることの説明として語っているというところ。トークの終盤で、彼女は次のような意味のことを平然と言い放ちました。

「人々がみんなそれぞれに違って、それぞれに美しいというのはすごいことだ。同じような服を売っている同じような店ばかりが世界には溢れているのに、みんなそれぞれ全然違う個性を発揮している。それは、私たちが互いに影響を与えあっているということの証拠であり、それこそが共有することの力なのだ」

公平で、あらゆる衒いをすり抜けた、真摯な言葉だと思いました。こういうことをさらっと言える人って本当にかっこいい。

人間一人ひとりの個性を信じよう、そしてそれをシェアし合うことで新しい何かが生み出される可能性を信じよう。そのような提案が多くの人の胸に響くのは、それがほかならぬ体現者・実践者の声だから。すべての言葉が、彼女自身の翻訳として語られるから。彼女が長いこと教育者としても活動を続けてきたことの意味が、なんとなくわかったような気がしました。

拡張するファッション クラリスブックス

「身近すぎて誰も見ていない、気づけないところに美を見つけ出す達人」と、林央子さんはパスカルさんのことを紹介しました。パスカルさんはこれに答えて曰く、「この展覧会にこそ、誰も予期しなかった、しかも誰もが自分のなかに隠し持った美しさが実現されていると思います」

自分のなかに、どこかへ向けて拡張したがっている小さな何かがあるのだとしたら、この展覧会はそれを見つけるきっかけになると思います。その何かを引っ張り出してきて誰かと共有し合い、新しいことを実践できたら最高。もちろん言うは易し、です。がんばりましょう、がんばります。

来月下旬の再訪と、鋭意制作中だという公式カタログの刊行を心待ちにしつつ、今日はこのあたりで失礼します。

石鍋

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