マイタケから遠く離れて

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採れたてのきのこの本。

鍋の季節です。我が家では、今夜は鍋にしようということになると、それが何鍋であろうと必ずマイタケを購入します、2パック分。そして出番がくるまでパックのまま転がしておきます。

さあいよいよ鍋だ鍋だ、ということで肉を切ったり野菜を切ったり出汁を張ったり、鍋料理にまつわるマイタケ以外のあらゆる準備を整えたのち、ようやくパックのラップを破ってマイタケの房を取り出し、これをいかにも投げやりに、大きめにちぎって鍋に放り込むのです。

マイタケに対して、なぜわざわざそんな乱暴な態度をとるかというと、つまりこういうことです。その昔、我が家ではキノコを洗うのかどうかで揉めたことがありました。僕は物心ついてからずっと、キノコも野菜と同じように調理前には水洗いするものと思い込んでいたので、ある日妻がマイタケをパックから取り出すなり俎上にのせたのを目にして驚きの声をあげてしまい、その驚きだけでなく非難がましい調子も微量に含まれていたに違いない「えっ洗わないの?」が口論の発端となったのでした。

 

口論はそれ自体が一つの旅に似てくる。口論をする人々は、センテンスから次のセンテンスへと運ばれていき、しまいには最初の場所から遠く離れたところにいて、移動と相手と過ごした長い時間のために疲れ果てる。

――リディア・デイヴィス「ほとんど記憶のない女」 岸本佐知子/訳

 

まさにそのとおりで、気づいたときには僕も妻もマイタケからそうとう遠く離れたところにいました。ネットで調べて、「キノコ洗うべからず」がどうやら正しいと決着がついて「ごめんなさい」と頭を下げた後も、僕たちは口論という旅からはなかなか逃れられないのでした。

以来、我が家ではキノコはけっして洗わず、とりわけ鍋にマイタケを投入する際には、その「洗わない感」をできるだけ大げさに全身で表現するという習慣ができました。思い返すだに恥ずかしい旅の失敗談を、自ら戯画化して披露して笑いとばすようなものです。「こんなもん洗ってられるかよ、包丁?いらないってちぎりゃいいよ手で」そんな感じ。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、僕はくだんの口論を受けて、自分はキノコキノコと言いながらキノコのことなんかほとんど知っちゃいないのだと思い、そんな呑気なことではいけないと思い、キノコについて徹底的に調べなければならない、とすら思ったのですがすぐにすっかり忘れてしまい、数年の時を経てこの本が入荷したのをきっかけに、再びキノコについて考え始めたというわけなのです。

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本書「きのこ ふわり胞子の舞」は、タイトルどおりキノコがとばす「胞子」に焦点をあてたキノコ写真集。キノコの本質はカビと同じ仲間の「菌糸」であって、人間が「キノコ」と呼んでいるのは、菌糸が胞子をまくためにつくった道具のようなもの。だからこれはキノコの本質に迫った本ということになります。

植物でも動物でもない、そんな菌みたいなカビみたいなよくわからないものを、僕たちは鍋に入れたり焼いたりしては、秋だねえとかうめーとかいって喜んでいる。不思議なことで、照れます。

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▲ あんなにぬるぬるのなめこも、サラサラと胞子をとばします。

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▲ 雨の湿気を得て胞子ぶくろを膨らませ、一滴の雨粒をきっかけにして胞子をとばすツチグリという名のまるいキノコ。雨をひたすら待ち続けるというのは感動的です。

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▲ キノコの胞子の観察方法も学べるんです。

 

いかがでしょうか、「きのこ ふわり胞子の舞」。著者は植物生態写真家の埴沙萌さん。こんなに字数をかけて紹介しましたが、800円の本です。注文ページはこちら。実はほかにも絵本や児童書などがたくさん入荷して、ただいま整理を進めているところです。近日中にいろいろとアップする予定ですので、お楽しみに。

石鍋


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