「考えるカラス」のこと

こんにちは、石鍋です。ほぼ毎朝、NHKの教育番組を一時間くらい眺めながら過ごします。小さな子どもがいるからどうしてもそうなるのですが、とてもおもしろくて僕の方がつい見入ってしまい、よく妻に「動け」と叱られます。

かつて、ほとんど「研究」とも呼べそうなスタンスで熱心にあれらと向き合っていた時代が、僕にはありました。作り手の思いとは無関係に解剖台でミシンと蝙蝠傘が遭遇するような、そういう奇妙な驚きを求めていました。制作上のアラとか素朴さとか、意図せざる暴力性とか不気味さとか、「これ子どもが見たら泣いちゃうんじゃないか」みたいなところを見つけては、ひそかに楽しんでいたのです。ところが、最近ではどの番組も洗練されていて、突っ込みどころがほとんど見つからない。といって真面目で堅くなってしまったのかというとぜんぜんそんなことはなくて、むしろみんなもっとアヴァンギャルド。しかも計算ずくの。次々と面白いことが起きるし、自由すぎるし、言葉遊びや歌のレベルは高いし、ダンスにはキレがある。なんというかすごく真剣に子どもたちと向き合っている感じがして、「ほらこういうことでしょ、こどもってやさいきらいなんでしょ」みたいなイヤな感じがまったくない場合が多くて、嬉しくなります。ときどき空からお尻が降ってくる椅子たちの街、呼んでもないのに出てくるオフロスキー、オネエ言葉を喋りながら踊りまくる犬、ピタゴラ装置をアクロバティックに進んでいくビー玉、美声で歌う猫のいる古本屋、その他いろいろ、例を挙げればキリがありません。

そんななか、いま僕がもっとも注目しているのが「考えるカラス」(NHK Eテレ 毎火曜9時10分→20分)。細い瓶のなかの水に浮かんだ餌を、小石を使って水位をあげることによって獲得するカラスにちなんだタイトルの、科学教育番組です。「これはなんでこんなかたちをしているんだろうか」とか「これをこうしたらどう動くだろう、どう変わるだろう」とか「これは本当はこうじゃなくて実はこうなってるんじゃないか」とか、そういう考え方を実験やアニメーションやリズミカルな歌を通して学ぶ番組、というと、なんだよくあるやつじゃんと思われるでしょうが、「考えるカラス」はほかとは一味違います。なんとこの番組では、それら様々な問いの答えを教えてくれないのです。いや、答え「しか」教えてくれない、と言ったほうが正確でしょう。いちおう答えを放り投げてはくれるものの、「なぜそうなるのか」を一切説明してくれない、ということです。

たとえば、「蒼井優の考える練習」というすばらしいコーナーがあります。ショートカットのとてもよく似合う蒼井優が、「さあ今日はこの風船を使って実験しましょう」とかいって実験を始めるわけです。実験がひと段落すると、「風船は前に動きましたね。でもなんでそうなるのでしょうか」とはにかみながらも丁寧に解説してくれる。しかし。そのいたずらっぽい声が事物の本質に迫りつつあるのを誰もが微かに予感し始めた、その時。

「ものにはその場にとどまろうとする性質があります。風船に箱をかぶせて台車を押すと、箱のなかの空気は-」ガシャン! と、解説のなかばで突然、シャッターの閉まるような音とともに画面上部から番組ロゴが落ちてきて、すべてを覆い隠してそのまま番組終了。最後に、くっきりとした男性の声のナレーションが、呆然と画面を見つめる者にこう言い放つのです。

「ここから先は、自分で考えよう」

しびれました。テレビが、視聴者を突き放すようなことをするなんて、昨今なかなかできることではありません。すてきです。

こういう番組を見て、ちゃんと考える練習を積んだ子どもが大きくなって、もっともっといろんなことについて考えてみたくなって、古本屋へ向かう。そんなふうに想像すると愉快です。

考える、というのはとても疲れることだし、すべてについて考え尽くすことは絶対にできないし、考えない方がよい場合というのもあるわけです。衝動的に川に飛び込んで子どもを助けるとか、直感でキャンバスに線を引くとか。「足の動かし方」について考えてしまったがために、崩れ落ちる洞窟から逃げ遅れた男の寓話もあります。

しかし、こうして生きているからには、なるべくいろんなことを考えたいですよ、やはり。世の中は不思議なことだらけで、謎すぎます。

いつかのどこかの誰かが考えたことの痕跡である「本」がたくさん集まる古本屋は、考えるのにうってつけの場所です。クラリスブックスの実店舗ができたら、考える人たちで店内が賑わうといいなあ、と思ってます。ぜひいらっしゃいませ。

石鍋

 


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