店主の高松です。
先日、下高井戸シネマで、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』を観てきました。
1995年公開のこの映画、私はこの奇跡の名作をいままで観たことがありませんでした。公開当時、私は大学生でした。おそらく時間だけは持て余していた時期だったにもかかわらず、なぜか観る機会を逃してしまい、ものすごい傑作であろうという、ほとんど妄想めいた気持ちを心の奥にしまい込んで、あえて内容など目に触れないように、そして映画館でしっかり観たいという気持ちを持ちつつ、結局20年以上、自身の中で封印してきた映画でした。
今年の2月頃から、監督エミール・クストリッツァの特集上映「ウンザ!ウンザ!クストリッツァ!」が都内の映画館で始まりました。恵比寿ガーデンシネマには行けなかったのですが、クラリスブックスからほど近い、下高井戸シネマにて期間限定で上映されたので、これを逃したら一生後悔する!と自分自身に言い聞かせて、最終日の夜の最後の回に駆け込んだのでした。
▲公開当時のパンフレット。少し前、偶然出張買取で入ってきました!
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それほど広くない下高井戸シネマは満員で、私はなんとか席に着くことができましたが、急遽スタッフの方が通路に折り畳み椅子を用意して対応していました。昔の映画なので、観ようと思えばDVDなどをレンタルすれば家で観ることができるにもかかわらず、映画館にこれほどの人が集まるということに、なんだかえらく感動しました。
3時間近い上映時間、私にとってはあっという間の物語で、エンドロールが終わって館内が明るくなっても、私はあまりの衝撃と感動で、席を立つことができませんでした。
実は学生の頃(それか、卒業後かも)、まさにこの同じ下高井戸シネマで、それも同じリバイバル上映でしたが、ピーター・グリーナウェイ監督の『コックと泥棒、その妻と愛人』を観た時も、全く同じ状況になったのを思い出しました。
陽気な音楽とハチャメチャなカーニバル的狂言回しの数々、そして地獄のような現実をたたき突きつけられる劇的なストーリー展開、そしてラストの大団円。小説で言えば、「幻想的リアリズム」という言葉で表現される、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が脳裏に浮かびました。ほんとうに、衝撃の映画、衝撃のラストでした。
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偶然入手したパンフレットに、映画評論家の秦早穂子さんの評が載っていて、その最後の、カンヌのホテルで働く女性の言葉が、あまりにもこの映画を象徴しているので、ここに引用したいと思います。
“『アンダーグラウンド』を観た彼女は、朝食のコーヒーを私に給仕しながら云った。「あなたたちは、祖国がばらばらになってしまうなんて想像もつかないでしょう。私たちはそれすらも、笑い飛ばしてしまう性格があるんですよ。いいえ、そうやってしか、生きのびてこられなかったのです。もっとも昨夜は、『アンダーグラウンド』を観たあと、娘と2人で泣き明かしましたが」
数年来の顔見知りだったのに、このひとが旧ユーゴスラヴィアからの亡命者とは知らなかった。私に言葉はなかった。”
『アンダーグラウンド』パンフレット CINEMA RISE No.60より
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現実と幻想が交互に彷徨いつつ、映画という手法によって、時間的・空間的制約すら飛び越えて、とにかく描ききるというその強引さに終始引っ張られ、観終わった後はものすごい虚脱感に襲われつつ、その後じわじわと押し寄せてくる、なんとも言い表せない感情を押さえるのが大変。。。
映画を観ただけなのに、ものすごいことを経験した気持ちになりました。
つくづく、映画は、すごい。
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