山に登るのが好きです。先日、交換会(市場)に出品されていた登山雑誌一括を、つい落札してしまったくらいの山好きです。まあそんなていどの山好きです。

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登山雑誌、というと山に登る人にとってのみ有用な情報誌、あるいはもっとマニアックでお堅い専門誌か業界誌のようなものと思っている方も多いかもしれません。山に登らない人はまず読まないでしょう。書店で見つけても手にもとらないでしょう。それどころか一瞥もくれないでしょう。

しかし読んでほしい。登らなくていいからちょっと読んでみてほしい。じつは誰が読んでも楽しめるんですよーぜひお気軽に、などとはまさか言いませんが、「読む」あるいは「書く」ことに何かを懸けているような人たちには、ぜひ一度読んでみてほしい。

なにがよいって、文章に余計なものがほとんど混じっていない感じ、といいますか、とてもすっきりした語り口が好ましいのです。例外はもちろんあるでしょうし、広告などフレーズや惹句のレベルではむしろ大仰なものも多いのですが(これはこれでたのしい)、登山雑誌のなかの文章は必要な語だけで組み立てられている、というのが僕のなんとなくの印象です。いや荒削りで無骨、みたいなことではないのです、ぜんぜん。そっけなくてぶっきらぼうとか、単刀直入な物言いとか、そういうことではない。

登山にたとえてみれば――山を歩くということは、別に目的地へ向けて近道を通ることではなく、また頂上を目指す試みでもないわけです。ピークというのは山行における単なる通過点に過ぎないのであって、地図を読み適切なルートを選択する際、通る必要があるなら通るし、景色はきれいだからまあ嬉しいけど、通る必要ないなら通らず巻いていくし、別にいいし。そんなのが山での歩き方です。悪例として挙げるのは恐縮ですが、「富士山いちどはいっとかねーと!」「ごらいこー!」「祝・富士山制覇!」みたいなのの対極に、僕の思う山歩きの理想はあります。その歩き方と、登山雑誌の語り方は似ている気がする。常にゴールの方を向き、ゴールのためだけに意味や主張を重ね、最短距離でそこへ辿り着こうとするのではなく、先人の通った道を正しく選び、体力を消耗させる余計な動作はなるべく控え、ただ着実に土を踏んでいく。雲ゆきによっては来た道を引き返す潔さも兼ね備え、薄暗い林が突然途切れて遠くに尾根を見い出した瞬間や、下界の近さを知らせる微かな沢の音、小動物の足跡、その他いろいろ山中で出逢うささやかなサインにも似た愛嬌や諧謔を随所に散りばめつつ、連ねられていく言葉。

ただ山を歩きたいがために山を歩く。そんなふうに書かれたものが好きです。山で土を踏んでいくのは、本の行を追うのに似ているな、と小説などを読んでいるときにもよく思うのです。

と、書きつつ、果たして登山雑誌の文章って本当にそんな感じだったかな、と不安になってとりあえずどれか一冊を開いてみると、ちゃんとそんな感じなのでひと安心。山も同じで、山で歩いているときのあの感じを、あんなに好きなのに、しばらくするとどうしても忘れてしまう。それが完全に消え去らないうちにまた山へ――行けたら最高なのですが、慌ただしくて最近はぜんぜん行けません。来年はたくさん登りたいものです。いいですよー奥多摩。温泉もあるし。

山連結01

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▲  こんな感じで、登山雑誌はもう棚に出ております。「山と渓谷」「PEAKS」「岳人」など、1冊100〰300円。ほとんど2012年刊行のもの、保存版特集も多いです。冒険や自然に関係する書籍もいっしょに並んでます。

山に興味ある人もない人も、ぜひご覧になってみてください!

石鍋