2015年12月
文・石村光太郎
12月6日の日曜日。クラリスブックスの読書会が開催されました。課題本はポール・オースターの1985年の小説『ガラスの街』でした。これはオースターの著作としては2作目になりますが、長篇の小説としては最初の作品です。持て余さんばかりの意気込みと、溢れんばかりの才気を、これでもかと見せつけんばかり語り口の勢いを感じさせる小説でした。その勢いに乗せられ、読書会の後に2002年の小説『幻影の書』をいっきに読んでしまい、こちらは相変わらずの語りの冴えっぷりと、『ガラスの街』とは違うぐっと円熟した技を感じさせられました。同時期に読んだ同じ作者の違う2つの作品が頭の中で混在し、ちゃんとした報告になるか心配です。
今回の読書会での『ガラスの街』の読後感は、みな解けない謎が残ったままというか、謎だけが次から次へと積み重なってゆく感があったようです。
「そもそものはじまりは間違い電話だった」いきなり引き込まれる魅惑的な書き出しではじまるこの小説は、一見ミステリーなのかなと思って、何か犯罪や陰謀の匂いとその謎解きに期待します。ところが登場する奇妙奇天烈な登場人物たち。作中語られる『失楽園』『ドン・キホーテ』等の作品に関する文学論、あるいは『バベルの塔』の挿話を中心とした宗教論などの考察。蛇行と迂回を繰り返し、自身もわけの解らない行動をとりだし、崩壊、消滅へと至る主人公。心の中にわだかまっている「何これ?」を列挙していくだけで、今回の読書会が終わっていてもおかしくなかったのではないでしょうか。
主人公の属性に関する発言をきっかけに、この物語の主人公ダニエル・クインとは何者なのかということに焦点が絞られてきました。物語の冒頭からダニエル・クインと名乗るこの人物は、家族を失っており、周囲との関わりを断ち、社会的な存在感の薄い人物として登場します。その彼が「ポール・オースター(!)」なる探偵と間違えられ、あろうことかその探偵になりすまし、ある男の追跡と調査の依頼を受けたことがきっかけで(あるいはそれがきっかけであったかどうかはわかりませんが)偽の属性を背負い、物語の中で迷子となり自分自身を失ってゆく物語と言えば良いのでしょうか。正直良くわかりません。
謎にまみれた物語の中、謎を明らかにするどころか、自身を見失い消え去ってしまう。幾多の肩書きを騙りながらいずれの属性も捨て去ってしまったダニエル・クインという主人公は、冒頭ミステリーの誘い手として登場し、最後には不条理の迷宮の中へと自らが謎となり何処かへ行ってしまいます。読者は煙に巻かれたように取り残されてしまう感じです。ミステリーとしては体をなさないという意見もあり、その通りだなと思いました。
ダニエル・クインが消えていく一方で、「ポール・オースター」の存在感が膨らんでいきます。
◆探偵の名前として登場する「ポール・オースター」
◆作中の人物として登場する「ポール・オースター」
◆この小説の作者「ポール・オースター」
◆主人公ダニエル・クインを作者の投影と考えると「ポール・オースター」との関係
◆物語の語り手「私」と作者「ポール・オースター」との関係
「ポール・オースター」とは何者なのかとみなを混乱させます。
「ポール・オースター」のみならず、様々な人物が多重性をもって現れ、それを語る言葉の曖昧模糊とした多義性とあいまって、角度の違う複数の鏡に幾重にも映し出される像のようなパラレルな物語世界。現実世界とは違う魅惑的な物語世界の混沌の中に、抗しきれずにあちら側に埋没してゆく「ダニエル・クイン」、それに対しこちら側の淵に踏みとどまり、物語世界を見届け続けようとするのが「ポール・オースター」なる存在なのではないでしょうか。
今回は読書会の報告というより私の勝手な感想みたいな感じになってしまいましたが、読書会でみなさんの話をうかがうことで、まとめられた感想だと思います。
色々な解釈を投げかけてくる作品だと思いますので、年齢や立場の違いにより、思いも人それぞれになるかと思います。今回はクラリスブックスのスタッフも含め12人の参加で行なわれた読書会でした。そこには12個の異なる表情で語りかける「ガラスの街」がありました。共通する感想は、謎が謎のままで答えがないことがこの作品の魅力であったということ。そして奇妙な物語なのに読後感が爽快であったということでした。
最後に熱心なメジャーリーグ通ではないが、ちょっと野球に詳しい私が一番印象に残った作中の一節を。
〝「デイブ・キングマン、ありゃあ駄目だ」とクインはハンバーガーにかぶりつきながら言った。〟
石村
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