10月5日の日曜日に読書会を開催いたしました。
課題図書は、ショーペンハウエルの『読書について』。
その日は台風接近にともない、東京もお昼過ぎから雨風がだんだんと強くなり、開催も心配されました。帰りの電車のこともあり、残念ながらご参加できなかった方が何人かいらっしゃいました。それでもご参加いただきましたお客様、誠にありがとうございました。
さて、この課題図書、ショーペンハウエルの『読書について』ですが、前回の課題図書が、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』という、とても長い小説だったので、まず、短いものにしよう、そして、小説ではない、エッセイのようなものにしよう、ということで、この本になりました。
タイトルの『読書について』という言葉から連想される内容は、いかに本を読むか、どうやったらたくさん本を読めるか、重要なところは線を引いたり、メモを取ったりした方がいいのかなど、いい本をたくさん読むための方法論、いわゆる実用書的な内容なのでは、と思われた方もいらっしゃいました。
しかしその内容は、彼の大著『意志と表象としての世界』の「余録と補遺」という位置づけであるにもかかわらず、哲学者ショーペンハウエルの思想的書物として自立しうる作品として完成されていると思いました。
「哲学」「ショーペンハウエル」「思想書」という言葉が先行したせいでしょうか、今回の「読書について」に関する感想は、短いというページ数もあるのでしょうが、みなさん思っていたよりも、あっさりと読めたようでした。簡潔で無駄のない文体で書かれた短い文章の連なり。箴言集といってよいそのスタイルゆえ、とっつきやすかったようです。物足りなさを口にされた方もいらっしゃいました。
クラリスブックスの読書会は最初にひとりずつ順番に、自己紹介を兼ねて課題本の感想を述べていくという流れで前半は進みます。今回は『読書について』というタイトルと内容から、参加されたみなさんの読書論というか、本との関わりについての思うところが聞けたような気がしました。年齢や仕事といった生活環境が異なる、見ず知らずの人びとの千差万別の読書人生が見られました。
「できるだけたくさんの本を読みたいから、一度読んだ本は繰り返し読まない」
「現在時間が有り、かなりたくさんの本を読みあさっているが、それをどうアウトプットすればよいのか考えるために読書会に参加した」
「本を読みたいが仕事が忙しく暇がないが、何とか読もうと読書会に参加した」
本に対する満腹感を消化するため。空腹感を満たすため。正反対の動機から読書会に参加されたという意見は嬉しかったです。
今回はスタッフ含め10名の参加となった読書会ですが、『読書について』という短い一遍から、十人十色なさまざまな「読み」をいつにもまして感じられました。
本屋は本を売ることが仕事です。売れた本が書棚の飾りになっているだけでも構わないし、薪の代わりに火にくべられても、それはお客様の勝手で、我々としては1冊でも多く売れればそれで良いのです。商売ですから。
でも本を売っていると、商売だと割り切れない気持ちにいつもつきまとわれます。やはり買われた本は読んでいただきたい。余計なおせっかいなのかもしれませんが、お客様が本を読んでどのように知に糧を得られたか、育まれた知がどのように連なっていくのか、それを知りたい。クラリスブックスが読書会を始めようと思い立ったのもそんな気持ちからです。
ショーペンハウエルは『読書について』の中でむやみに本を読むなと言っていますが、本人はかなりの読書家であったそうです。むやみに本を読むなとは、無駄に読むなということなのではないでしょうか。ただただ濫読にふけるだけでは何の役にも立たない。本からインプットした知識を正しくアウトプットすること。しかしその方法には正解がない。百人いれば百通りの解釈が存在する。それを日々吸収し、知見を拡げてゆくことが読書の醍醐味であると、この書物は教えてくれたような気がします。その読書の醍醐味を垣間見るに少しでも役に立てることを目指し、これからも読書会を続けていきたいと思います。
最後に19世紀のドイツに生きたショーペンハウエルとその周辺の人物の年代を記しておきます。カント、ゲーテ、ヘーゲル、ショーペンハウエル、そしてニーチェ。それぞれ少しずつ生きた時期が重なっていて、そこに思想的繋がりがあるかどうかは別としても、とても興味深く感じます。
カント 1724年-1804年
ゲーテ 1749年-1832年
ヘーゲル 1770年-1831年
ショーペンハウエル 1788年-1860年
ニーチェ 1844年-1900年
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クラリスブックスでは、月に一回程度、読書会を開催しております。読書会につきましては、こちらのページをご覧ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
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